私はドラマが見れません。
ドラマを見ると恥ずかしい気持ちになって、苦しくなるためです。
「ああ、恋愛シーンでしょ。分かる分かる」
と思われた方、実は違うんです。
それはいわゆる恋愛シーンだけでなく、どんなシーンでも恥ずかしくて見れません。
- 教室で何気なくノートを取っているシーン
- ランチタイムで雑談しながら歩くOLのシーン
- 家族で食事を囲って団らんしているシーン
このレベルでも恥ずかしくて苦しくなることがあるのです。
ドラマを見ると恥ずかしい感覚は結構生活にデメリットがあるので調べてみたところ、『共感性羞恥(きょうかんせいしゅうち)』というものを発見。
「私はこれなのでは…!?」ということで色々調べてみました。
- 同じようにドラマを見ると恥ずかしい感覚を持つ方
- 身近にドラマが見れない人がいるという方
は、ぜひ参考にしてもらえればと思います!
共感性羞恥(きょうかんせいしゅうち)とは?
共感性羞恥(きょうかんせいしゅうち)とは、他人の行動や状況を見ているだけで、まるで自分がその場に居て同じ目にあっているかのように恥ずかしさを感じることです。
例えば、以下のようなシーンをドラマで見たときに恥ずかしさを感じることです。
- 主人公が大勢の前でスピーチをしているときに、頭が真っ白になって失敗してしまうシーン
- 恋愛ドラマで、付き合えると思って片思いの相手に告白したのに想定外に断られるシーン
- コメディドラマで、引っ込み思案のキャラクターが不慣れなダンスを人前で踊らされるシーン
- 社交的な場面で、主人公が他人の名前を間違えて、それを指摘されるシーン
- 彼女とデートして帰ったら、親に「見たわよ」とニヤニヤされるシーン
確かに恥ずかしいシーンばかりです。
でも、私が恥ずかしいと感じるのは、このような場面だけではありません。
- 友人のアルバイト姿を見つける
- 同僚のプレゼン発表を見る
- ストリートパフォーマーのパフォーマンスを見る
上記のような場面で、ドラマの登場人物たちは恥ずかしがってなくても恥ずかしいと感じてしまうのです。
さらに調べてみたところ『観察者羞恥』という言葉に出会いました。
ドラマが見れないのは観察者羞恥(かんさつしゃしゅうち)のせいだった
観察者羞恥(かんさつしゃしゅうち)とは、相手の感情に関係なく、自分がその場面に居ることを想像した結果恥ずかしいという気持ちを抱くことです。
共感性差恥との違いは、”相手の感情と関係がない“というところですね。
つまり、自分がこんな目にあったらとか勝手に自分に置き換えた結果、勝手に恥ずかしくなることと言えます。
まさに、私はこれ!
- 友人のアルバイト姿を見つける→友人にアルバイト姿を見られたら恥ずかしい
- 同僚のプレゼン発表を見る→人前でプレゼン発表しないといけないとしたら恥ずかしい
- ストリートパフォーマーのパフォーマンスを見る→パフォーマンスするのが恥ずかしい
これと同じ流れで、「ドラマが恥ずかしくて見れない→演技することが恥ずかしい」というわけです。
ドラマが見れないことのデメリット
「ドラマが見れない」というのは些細なようですが、結構デメリットがあります。
実はドラマを見ているという人は、意外と多いです。
そのため、新しい俳優やドラマの話が分からず、「あのドラマにも、ちょっと前にはあの映画にも出てたよ」と言われても、まったくピンと来ません。
友人グループの話題にドラマの話が上がっても愛想笑いして過ごす時間は、なかなかに孤独です。
また、同居人がドラマを見たい場合は、イヤホンをしてもらう/自分がイヤホンをするなどで遮断する必要があります。
見なければ視界には入りませんが、何もしないと音を聞いてしまいます。
その音だけで恥ずかしくなるので、イヤホンが必要なのです。
イヤホンすることを相手が気にしない/こっちも気兼ねなくつけられる関係なら、イヤホンをつけることはやや面倒ですが特に問題はありません。
一方で、イヤホンをつけて過ごすことを気にされたり、こっちも気にしてしまうような関係の場合は、苦しい時間を耐えることになります。
例えば、義母がドラマを食事中に見たいタイプなどの場合は、とにかく早く食べて離席するしかありません。
先に離席することも角が立つなら、辛い気持ちのまま食事の時間をひたすら過ごし続けることになります。
これは本当、なかなかのストレスだよ…
ドラマが見れないことへの対策
ドラマが見れないことへの対策としては、以下3つがあります。
- ドラマの情報をテレビ以外から入れておく
- ドラマが見れないことを事前に伝えておく
- 他人との境界線をしっかり引く
まず、ドラマに原作があったらそれを読んだり、他の人のドラマの感想を読んでみます。
私は文章であれば恥ずかしい気持ちになりにくいので、ピッタリの方法です。
また、周りの人にさりげなくドラマが見れないことを事前に伝えておくと、人によってはそれをふまえてくれたりします。
根本的な解決に近づくには、3つめの「他人との境界線をしっかり引く」ことが重要です。
観察者羞恥を感じる人は、他人との境界線が薄いことで、他人の気持ちや感情に大きく影響を受けやすくなっています。
そのため、他人の感情をまるで自分の感情のように感じて、
- 誰かが恥をかく姿を見ると自分も恥ずかしくなる
- 誰かが怒られている姿を見ると自分も怒られているように感じて辛くなる
というわけです。
この境界線をしっかり引くには、日記を書くことがおすすめです。
日記は自分との対話になるため、自分を見つめることになりますよ。
他人の感情に自分の感情が持っていかれて辛いという人はぜひ試してみてくださいね。
まとめ
この記事では、ドラマを見れない私のことから、共感性差恥や観察者羞恥、それのデメリットと対策について見てきました。
当事者としては、ドラマを恥ずかしくて見れないことは、けっこう大変です。
- 待合室
- 飲食店
- サウナ
- 空港
など、テレビは意外といろんな施設に設置されています。
そしてそのテレビに表示される番組は、客の立場では変えられないことがほとんどです。
ふいに始まる2時間物の刑事ドラマとかも、普通に恥ずかしいから困る…
ですが、対策にも挙げた「自分と他人の間にしっかり境界線を引く」ことに取り組み始めてから、恥ずかしくなって辛い場面がやや減ってきました。
もし同様にドラマが見れなかったり、他人の感情に引っ張られすぎる場合は、ぜひこの記事でご紹介した対策をしてみてくださいね。
コメント